学体連の歴史

(財)日本体育指導者連盟

1946(昭和21)年12月、当時文部省体育官補佐であった吉田清氏(日本大学名誉教授)は、大谷武一氏(東京体育専門学校校長)、今村嘉雄氏(東京高等師範学校教授)等と協議し、学校体育指導者団体の組織作りが急務であると察し動き出した。

終戦直後の国民生活は種々の面で困難・欠乏を極め、学校体育資材は皆無に等しく、このままでは国を復興する原動力となる青少年の健康・体力・気力が低下することは、火をみるよりも明らかな状況で、戦後の国力のためには体育を復興しなければならないという強い情熱と責任感が諸氏等を活動へと駆りたたせたのである。

諸氏等は、国に対して体育用資材、指導用衣服、食料等の増加を陳情するため、また、配給の受け皿としての機関を設けるためにも前記団体の結成を急ぐ必要があった。
1947(昭和22)年5月、前述した時代の要請から日本体育指導者連盟(以下、体指連という)が結成され、事務局を大塚窪町金子書房に置き、全国的な体育指導者の育成と組織作りを始めた。そして、同年12月には、早くも体育衣料や体育用品が組織を通じて配給されたのである。

1950(昭和25)年2月23日、体指連は財団法人(基本金30万円)として認可され、初代会長を大谷武一氏、設立代表者を今村嘉雄氏として各都道府県の連合会を組織し、状況が可能な地域から活動を始めた。
1952(昭和26)年、体指連は学校体育の振興を図るために、顕彰事業として全国保健体育優良校(現在:全国学校体育研究優良校)中央審査会を設け、初回20校を表彰した。
1955(昭和30)年3月、体指連は事務局を学習院大学内に移し、全国の指導者の福利厚生・親睦,体育資材の配給等の充実を果たすとともに、次第に本来的な役割である体育指導者の資質向上を理念とした事業に転換していった。
同年10月,第2代会長に東俊郎氏(順天堂大学体育学部部長)が就任し、初めての全国体育指導者講習会が体育指導者の資質向上を図ることを目的に実施された。

上に戻る

(財)日本学校体育研究連合会の設立

さきの体指連から財団法人日本学校体育研究連合会(以下、学体連という)に改組されたのが「昭和37年3月10日」に開かれた体指連の評議員会での「学体連の結成決議」である。

学体連が結成されるまでの史的経過は、当時、学体連の理事長であった鈴木正三氏が学体連会報第9号に「学体連の生い立ち」として掲載している。その内容を列挙すると、以下の通りである。

1961(昭和36)年8月11日、体指連の評議員会ならびに理事会の要請と関係各方面の指導により、文部省、東京都庁、体指連の三者が改組に関する懇談会を岸記念体育会館で開催する。
同年8月14日、文部省と体指連の関係者が文部省にて2回目の改組についての懇談会を行う。
同年8月19日、前2回の懇談会の結果を踏まえて、改組原案作成小委員会を学習院大学にて開催する。
同年8月29日、前掲の三者会談を日本体育協会にて行う。この時の内容は、①前出8月19日の小委員会で作成した改組原案の審議と、②各教科研究会の実情および各都道府県における研究会の実態を調査することであった。
同年8月31日、文部省は各教科研究会の実情を調査することを決定。
同年9月1日、体指連は各都道府県に組織の実態調査を依頼する。
同年9月18日、原案作成小委員会は、学習院大学にて全国の実態をもとに再度改組原案を作成。
同年9月19日、文部省関係者と小委員会は、作成の原案について懇談する。
同年9月21日、3回目の三者会談を日本体育協会にて開催し、改組原案を説明。その結果、小・中・高等学校の校長会、学校体育連盟、その他各関係団体に原案を提示し協力を依頼することになる。
同年10月9日、秋田市で開催された各都道府県主管課長会議で、文部省より改組に至る事情を説明。
1961(昭和36)年11月、文部省主催の体育関係ブロック課長会議において、文部省関係官を通じて改組の骨子が説明され協力を依頼する。
同年12月1日、全国体育主管課長会議に原案を提示し協力を求める。
1962(昭和37)年3月2日、全国体育主管課長会議にて、文部省より意見聴取ならびに協力を依頼する。
同年3月20日、体指連評議員会を開催し原案を提出し承認される。

以上の経過に関して、世話人としてご尽力いただいたのは、文部省西田剛氏(体育課課長)をはじめ、小尾乕雄氏(全国教育長協議会会長)、保坂周助氏(全国保健体育主管課長協議会代表)、岩下富蔵氏(全国高等学校校長会会長・全国高等学校体育連盟会長)、沢畑泰二氏(全日本中学校校長会会長・全国中学校体育連盟会長)、鈴木虎秋氏(全国小学校校長会会長)、鶴岡英吉氏(東 京教育大学体育学部部長)、戸倉ハル氏(全国女子体育連盟会長)である。以上の諸氏等の協力を得て設立趣意書を作成し、広く学校体育関係者に送り、この趣旨に賛同する関係者から各都道府県に学校体育研究組織の確立と学体連への加盟を呼びかけたのである。

この時の趣意書の内容は以下のようである。

「次代を担う青少年の健康と体力を向上させ、心身ともに健全な育成を図ることは、各個人の幸福はもちろん国家社会の発展のうえからも極めて重大な課題であります。我々体育関係者は、この課題解決に貢献する体育の使命の重要性を認識し、体育の発展に鋭意努力して参りました。現在オリンピック東京大会を目前に控え、全国民のスポーツに対する関心が高まっており、また学校体育においては、小・中・高等学校の学音指導要領が改訂されるなど、体育スポーツの充実発展をはかるべき好機であります。最近、学校教育における他教科の研究活動は、全国的組織のもとにその研究が活発化しつつありますが、学校体育は、研究すべき領域や内容が非常に多くあるにもかかわらず、その全国的研究体制は確立されず個人や小範囲の研究組織のみで、その実績はまことに遅々たるもののように考えられます。よって、この際各地の研究成果の交流と未解決の問題に対する研究促進のために、全国的組織を確立して学校体育の飛躍的発展を期する必要があります。かねてから体指連を改組して前述の趣旨が達成できるようにと、全国各方面から要望がありました。1962(昭和37)年3月10日同連盟評議員会で、この連盟を発展的に解消して真に全国学校体育関係者の要望に応える法人の結成が決議され、満場一致で規約も承認されたのであります。」

このようにして学体連の設立が可能になり、1962(昭和37)年11月8日、総会ならびに祝賀会が干葉県・津田沼小学校にて開催されたのである。

上に戻る

日本学校体育研究連合会改組要項の作成について

体指連では、これまでの会談の結果を踏まえ、会の名称、目的、加盟団体の資格、条件、役員の構成、会費、事業計画等に関する「改組要項」を作成した。なお、これらの要項の原案は体指連の鈴木正三氏(理事長)、坂井田逸治氏(常務理事)が、西田剛氏(文部省体育課課長)の指導・助言を得て作成したものである。

財団法人日本学校体育連合会寄附行為」に関する要項の作成について

この寄附に関する成案も先の鈴木氏、坂井田氏等が文部省に数回出向き、西田氏等の指導・助言を得てできあがったものである。
これらの内容については、50周年記念誌第I章第I項末の参考資料ならびに第Ⅳ章資料・寄附行為の項を参照されたい。
このような経緯を得て、学体連は当時の歴史的背景を舞台に、文部省の強い要請と指導力により全国的な学校体育指導者の総括団体として誕生したのである。